【ののの】望みの過程
望みの過程
前回は「望みの種類」、「したい」「なりたい」「ほしい」の3つを紹介しました。
tasaki-shino-zakki.hatenablog.com
私たちは、この3種類の望みを常に抱えながら生活しています。
では、それらの望みがどうして生まれるのか。
また、どのように処理されるのか。
今回は、「望みの過程」について見ていきます。
望みの誕生
どのようにして「望み」が生まれてくるのでしょうか?
「望み」は、次の二つの要因から生まれてきます。
- 自分の内側から生じる(3大欲求)
- 自分の外側に触れることで生じる(欲望)
以前、すべての「望み」は「3大欲求」から始まると説明しました。
これは自分の内部から、つまり、何もしなくても勝手に生じるものです。
その理由は、生きていく上で欠かせない行動を起こすためだからです。
一方「欲望」は、自分の外部と接すること、つまり、他人や周囲の環境から影響を受けて生じるものです。
皆さんの「欲望」を一つ思い浮かべてみて下さい。
そして、なぜその「欲望」を抱くようになったのか、考えてみて下さい。
例えば私なら、「物書きになりたい!」と思っていました。
それは、他人が書いた文章に触れて「自分も書いてみたい!」と感じたからです。
結局「欲望」が生まれたきっかけは、自分以外の何かから影響を受けたことなのです。
望みの消化
生まれてきた「望み」は、いつか必ず消化されます。
消化には、次の二つが考えられます。
- 「望み」の達成
- 「望み」の忘却
「望み」が満たされる、叶えられる、達成されることで、その「望み」は消化されます。
このように消化されたとき、私たちは「達成感」という快感を覚えます。
私の例えだと、「文章を書いてみたい!」という望みが誕生し、実際に書いてみることでその「望み」は消化されます。
「もう一度、あの達成感を味わいたい!」と思えば、その望みを満たすために、また文章を書くでしょう。
ところが、「物書きになりたい!」という望みは、並大抵の努力では叶えることができません。
「絶対に物書きになるんだ!」と強く思い続けることも可能ですが、現実的ではありません。
そこで「物書きにならなくてもいい」と考え直し、時間とともにその望みを忘れることで、消化します。
たくさんの「欲望」が蔓延している今日では、それをうまく消化することが求められていると思います。
あまりに無謀な望みに囚われてしまうと、生活に支障が出る場合があるからです。
このことは、「望みの功罪」でお話します。
望みの派生・変化
生まれてきた「望み」は、派生し変化することがあります。
私の例を続けますと、「文章を書きたい!」という望みが、「物書きになりたい!」という望みに派生しました。
この場合、ある「欲望」が満たされたので、他の「欲望」に派生させて、それを満たそうとしています。
また、ある「欲望」が満たされないとき、私たちはその「欲望」をうまく変化させて、満たそうとします。
今度も私の例で言いますと、「物書きになりたい!」を変化させて、「ブログを書きたい!」という望みになりました。
そう簡単には物書きになれないので、文章を公開するという意味で同じである、ブログを書きたいと思いました。
つまり「望み」(特に「欲望」)には、このような派生・変化が見られます。
- 「欲望」が満たされる→派生→別の「欲望」
- 「欲望」が満たされない→変化→別の「欲望」
こうして「欲望」を派生させ変化させることで、消化できる別の「欲望」を誕生させます。
望みの過程(誕生から消化まで)
以上の通り「望み」は、「誕生→派生・変化→消化」の過程をたどります。
意識、無意識に関わらず、私たちは「望み」が生まれる度に、消化を試みます。
「したい」と思えば、することで。
「なりたい」と思えば、なることで。
「ほしい」と思えば、手に入れることで。
「達成できた・できない」と思えば、他の望みに派生・変化させることで。
私たちは常に、「望みを生んでは消して」という過程を繰り返しながら、生きているのです。
次回は「望みの度合」について書きます。