何のための情報?
「司書講習」。
また一つ試験が終わった。
これでついに、あと一科目。
来週で終わり。
ああ、終わるのか。
そうだよね。
終わるよね。
いやいや。
感傷に浸るのは、まだ早い。
まだ一つ、演習が残っている。
学び尽くさねば。
学ぶことは楽しい。
でも、学んだことをどう利用するのかが問題である。
忘れないように、と書いてきた大量のメモ。
その中身である情報が上手く使われなければ、ただ紙の山となってしまう。
本も同じ。
読まれなければ、その役目を果たせない。
本の役目、それは「感動」。
人々は読書することによって、本の中から情報を読み取り、何かを感じ、動き出す。
つまり本は、利用されるためにある。
本だけではない。
あらゆる情報は、利用されるためにある。
情報や知識を得ることだけで、満足するのはもったいない。
それこそ、ただの自己満足。
知識をたくさん持っているだけでは、「かしこい」とは言えないのである。
その知識を「主体的に」利用してこそ、情報としての意味を持つ。
何のために学ぶのか。
何のための情報なのか。
「司書講習」では、そういったことも考える。
私はその情報を整理する必要がある。
さらに、その情報を共有したい。
だから私は、司書講習のブログを書きたい。
どこのブログを使おうかしら。